小芝風花×成田凌。石田ゆり子。原作は小説。提供スポンサーに転職関連会社がいるっぽい。
はじまりのシーンが不穏とみせかけて何だろと思わせる、やられたー。成田凌、杖をついているがオーラあり、めっさつよー、なぞー。転職をテーマに、転職の魔王と呼ばれるキャリアアドバイザー来栖とお仕事探し中のひつじたにさんが転職候補者として出会うところから始まる。
ねこもしゃくしも転職時代、日本型として世界から評価され始めていた年功序列終身雇用がぶっ壊され、若者は1社目入社当初から長居しない前提でしか学ばない、どこか次に使える技術をもらえること以外に興味がないようにも見えるときもある、そんな新しい時代の迷いに問いかけるドラマか。
ドラマ中にも出てくるが転職アドバイザーにお金を出しているのは、転職先の企業であるというポイントは見逃せない。総転職時代に得をしているのは誰か、こうやって転職しまくりが当然という風潮を醸して、知り合いがバンバン転職経験していく世界を作っているのは誰か、反対するわけではないが、人にとって良かったことが自分に良いとは限らない。隣で今転職を喜んで給料が増えたと言っている人が、30年後にどうなっているかは誰にもわからない。自分の頭で考えて、自分に何が必要か、自分で決めないと。
==以下は転職に関連してついついめぐらせた私見==
最初に学ぶものとして最低限最大に重要な、ビジネス社会での人間関係の構築術も後々宝になる社会人としての常識やセンスも、最初から持って生まれるものでもないし、学校教育で完成して出てきているものでもない。そういうものを得るために自ら学びとりにいくことが許される、謙虚にじっと見て倣うべき、最大のチャンスが1社目の最初の1-2年であったと個人的に振り返れば思う。間違いなく、その差は後からきいてきた。そのチャンスは後からは回ってきづらい。転職後の世界は即戦力の世界だから、ゼロから門前の小僧をさせてもらえる期間はないか、著しく短い。
だいたい、小学校は6年、中学は3年、高校は3年、大学は4年かかって、何かを学んだことになっているわけだけれど、その時間軸で考えてみてもわかるが、正直社会人としてはゼロのゼロのズブの素人状態からスタートした新入社員が1ヶ月、1年で何が身に付いたか嘆くなら、まだ小学校でいえばようやく1時間席について挨拶ができるようになったころに、もうだいたいわかった・つまらないというようなもの。あ、いいすぎか。
そういうことを、転職アドバイザーは言ってくれるのかどうか。彼らは国側の人でも慈善事業でもない、転職タイミングを遅らせる方角のことを言うインセンティブが彼らにあるのか。普通はない。転職したい人に転職させるのが商売なのだから言う必要もない。しかし、どこか転職者の中立な味方であるようにみえてしまう外観があり、実はそうではないということには留意したほうがいい。
どこでもいいから転職してほしいという側に立つのが転職成果から売り上げを得る転職アドバイザー達である、通常は。このドラマの来栖は必ずしもそうではないのかもしれない、そして実際にも究極の視点、つまり候補者の視点に立って対応することで最大の効果を得るという境地に達しているアドバイザーもいるかもしれない。神の見えざる手のような形で全体が機能すると信じる境地にあればの話。
どちらが正しいとか良いとかいうこともないが、働き手を探す受入れ先企業をクライアントとしバッチリ利害でつながる営利企業というのが実態の、転職アドバイザーたち。彼らによる思想や説明のみに依拠するのは偏りやリスクがあると思うならば、利用するものは利用させてもらうというマインドで一線を引き、その片方で、親や転職以外の道を進む先輩がいるなら、そちらの意見も聞いてみることは試すに値すると思う。短く転々としている履歴書からは、ひとところにとどまって努力する「忍耐力」という資質の欠如が自動的に透けて見えるともいえる。老婆心。石の上にも三年って諺、大人になると意味がわかるよね。