最終回完了 個人的好み判定 〇「ナイトドクター」医療関係者だけでなく皆がお互いを支えて成り立つ社会の一員、次の朝も皆で迎えられるようがんばろう

今期の「TOKYO MER」とかなりパラレルなテーマを扱っていて、両輪のように心に刺さり良かった。こちらのほうが、とある病院の毎日の夜にフォーカスし、お医者さんひとりひとりの人間としての内面を照らし、ヒヨコ先生たちの覚悟が決まる瞬間みたいなものをより近くで丁寧に等身大に書いたイメージ。

夜の病院を守る夜間専門の医師「ナイトドクター」という構想のもと集められた年齢も経歴もバラバラのお医者さんたち、ヒヨコはおびえオロオロ震える。辛くて大変で、誰も好んでやりたがらないんじゃないかと自虐的に思えてしまったり、昼間の医師たちよりも格下に見られている気がする。が、それでも逃げずに立ち向かうプロたち。実際は一人で何役も専門性を超えて対応しなければならないことを思うとむしろスキルが要求され、スキルアップせざるをえない最強の重要現場だとわかる。これまでのドラマでも英雄に多いのは救命救急や夜間といった、必ずしも花形然としていない領域だったように思う。

私の知り合いというかかつての同期のなかに、社会人デビュー後に医学部受験し医師になり救命救急の道に進んだ方がいるのをSNS越しに把握しているが、そういう風にあえて難しい課題を自分の使命ととらえて飛び込み、覚悟を揺らがせずに毎日スタンバイしてくれている人たちがいるから、私たちは病院が閉まっている暗闇の夜の時間をいくつも通り抜け安心して暮らすことができる。

当たり前にそこにあるものを当たり前として感謝もしない、誰かが見えないところでしてくれていることを忘れてくらす、そんな現代人に少しバチがあたったのが今なような気がする。私たちは豊かになりすぎて、自由に飛び回り消費し遊ぶこと、倒れたらだれかが最新医療で必ずや助けてくれること、当たり前に思いすぎた。自分が自分の分だけきちんと気を付けて生きて、必要な分だけ使う、無駄なことはしない、誰かがしてくれていることを正しく理解し感謝する、そんなところからやりなおさないといけない。神様がいるのかはわからないけれど、なんであんなにも愚かだったんだろうと、まるで小さな子供に戻ったような気分で、誰かからまっとうな何か問いを突き付けられている気がする。どこまでアホなまま突き進むの?って。そもそも手にしていたものは自分達の手で築いた文明でもなかった、先人たちがもっとまじめにストイックに築き上げてくれたものを、ただ食いつぶす三代目なら転んで苦しい展開になるのも当然だ。

もう一度何が大切か、何が本当に必要なものか、自分にできるのは何か、一度立ち止まって見直す、そんな今らしいきっかけをくれたドラマ達だった。当たり前は当たり前なんかじゃない。お互いがお互いを支えて成り立つ社会の一員であること。

そしてやっぱりお医者さんや医療従事者たちへの尊敬。能力や性格の違いはあるだろうが、その道に進もうときめて逃げずに今日も現場にいてくださることに感謝。誰にでもできるお仕事じゃないのだから、替えがきかないのだから、無理が続いて疲労がたまっているはずだと心配でならない。少しでも収束した瞬間に順番に休みをとっていただけるだろうか。そのために私たちにできることは?やはり、今の時点ではまだ不要不急の外出や人との交流をおさえることしかない。経済を回すために飲みに行く人たちがいて飲み屋さんももちろん経済の一部だが、それ以外にもできることはある。なんとなくとか、人から聞いた噂とかではなく、ひとりひとりが自分の頭をもっと使って、ロジカルに考えよう。流されないで、自分で決めよう。

最終回もよかったが、個人的には一人で抱えて無理して突っ走る朝倉先生が気づいて少しだけ丸くなる第6話も良かった♪いくつになっても人間は、素直で向上心がある限り成長できるんだ!立ち止まったり回り道したっていいんだ!新しい何かがまっているのかもしれない!

宇多田ヒカルに似た声とうたい方のEillの「hikari」から:
「夢から覚めてからが
本当のはじまりだと知った
You’re all ready」
「つらい思い出も 痛むこの胸も
全て愛せたなら「ヒカリ」になる
ここは The last beautiful world」

最終回の夜明けのシーン、朝倉先生こと波瑠のセリフから:
「人知れず夜に働く人たちがいる
そのおかげで
時刻通りに走る電車
ごみのない綺麗な街並み
いつもどおりの通勤場所
そこには私たちの知っている当たり前の朝がある
わたしたちナイトドクターにかせられた使命
それは夜の病院を守るだけじゃない
この当たり前にあるはずの毎朝をきっと守ることなんだ」