佐藤二朗の使い方が最近のテレビ的には新しい?妙にしっくりくる。佐藤二朗やっぱり凄いな。占い番組で中身子供だと言われていたが、元ひきこもりで、ひきこもりの子供に無理なく寄り添えるまっすぐな上嶋先生を好演。ふざけを封印して不器用さ全開の困った表情がとても響く。普通のオトナが失って、もう持っていない、ピュアな何か。淡く鈍く滲んで光る!
鈴木保奈美ちゃんや高橋克典も出演。佐久間由衣。玉置玲央も鬼気迫る演技で強いインパクト。
NHKは不登校やひきこもりを見つめる作品をいくつか扱っている。上からじゃなく、大きすぎたり小さすぎたりしない適度な距離感で色眼鏡かけずに見つめる、実はなかなか難易度が高いんじゃないか、だから意味があるように思える。
それぞれいろんな理由でひきこもり、自分なんて消えてしまえばなどと抜け出せず苦しむ子供たち、まだまだ狭い世界と視野のなかで立ちすくむ彼等に、どんなオトナのどんな言葉なら届くのか。1ミリでも苦しみを軽くして遠くにかすかな灯りを灯せたりしないのか。
オトナだって神じゃない、弱さや自分可愛さや自己満足から、学校の方針、綺麗事を笠に問題の核心から目をそらせば、教育や救いの手どころかむしろ加害者になりかねない。その一手は大丈夫か、本気で逃げずによりそうことができるか。ゆがみの根源はオトナにあるかもしれない。
いじめをする側もひきこもる子もどちらも必死のSOSの叫び。「学校が気持ちわるい。」繊細で優しい人間こそ弱いときがある。見逃さない、都合よくねじまげない、適当に蓋をしてごまかさない、だけどそれがむずかしい。オトナとコドモの弱さが隣合って輪になってグルグル、学校という狭く閉じた特殊な社会を今日も形成している。
「僕、学校を本当のことが言えるところにしたいんです。」
「どうしてもしんどいときは、そのしんどい場所から、苦しい状況から、逃げたっていい。逃げることで救われることも、ある。」
「でも、逃げたままずっと生きていくわけにはいかない。だから、ほんのちょっとだけ、ほんの一歩だけ、ステップルームからでて、みんなと一緒の卒業式に出てみてほしいんだ。」
一歩踏み出すのは生徒達だけじゃない。
最終回最後の章、NHKがまた勇気を奮ってぶちこんできた👏意表をついて、コロナで2020年春の卒業シーズン直前に突然安倍が放った全国一斉休校発表の映像。ここまで細やかに織り成し積み上げてきた教育現場の努力と、一切噛み合わなさ加減が、想像していた以上で刺さる。掴んだはずのコドモ達の信頼がすりぬけていく。ただの卒業イベントなんかじゃない、幾重もの意味を詰め込んで教育的効果の集大成の仕上げターゲットに据えたもの。当時より厳しい2021年のこんな状況でスポーツの祭典ができるぐらいなら、なぜ去年の卒業式が?
「今までいろんなことを諦めてました。」「でも君たちはできると思った。諦めないでできると思った。」「君たちはすごいっ。」「もう、諦めるの、やめませんか。」「コドモ達に教えてもらったんです。できると思っていい。できるを選んでいい。」
「できる!できる!できる!できる!できる!できる!」
全5回にギュッと詰められた優しい応援歌。きわめて良質。素晴らしいのひと言、見てよかった。じんわりゆっくり涙がでる系。オトナももう一度青く揺るぎない空をあおごう。