最終話やってくれました!うまい!最初に感じた大豆田とわ子が抱えるお母さんとの思い出に関連しそうなひっかかりの影、途中で私の勘違いかと思っていたが、最後に蘇ってきた。回収のしかたというか、じわじわではなくあさっての方向からグルンと閉じてくるこの感じが、坂元裕二さんらしくハイセンス✩どうやったらこれが作れるんだろ。
母と娘のあいだには生きてる間もその後も絆があり、知らないこと知りえないこともある。だけど、幸せであってくれたらとお互い信じ合えることは、結構生きていくための核になりうる部分だと思う。そういうものが、とわこと唄の帰り道の会話でさらりと表現されてた気がする。
パパとの会話も、自分探しの光がみえたとわこにとって、救いとなる。とわこが誰かに直して欲しかった網戸も、比喩的に、いろんなひとが、夫3人やパパが居たことにとわこが気づけたことを印象的に表現していた。「わたし、ちゃんと、いろんなひとに起こしてもらってきたよ。」
「どれも君が愛に囲まれて生きてる証拠なんだよ」「そうやって。だからね。ぼくは何度でもお湯となって水となって巡り巡って君を好きだってこと」「ぼくたちはみんな、君のことが好きだってこと。大豆田とわ子は最高だってことだよ」
妄想か真実か、不思議な3+1人の愛ある友情関係、眩し(*´つ_⊂`)4人組のお笑いコンビだよね、これもう。
「そうだな、あたしの好きは、そのひとが笑っててくれること。笑っててくれたら、あとはもうなんでもいい。そういう感じ」
曇りが晴れて何だかおニューな心境。奇跡が重なって出会って別れて、泣いて笑って、転んで歩いて。暗い気分の日、気分だけでもアカデミー賞の日。日常のなかに悲しみと喜びは混在していく。とはいえ、なんだかんだ、「迷ってきたようで一本道だったんだね」って思ったりしながら。
この作品をどう評価するかは、多分ひとによると思う。なんでもそうではあるが、本作ってば、ひときわそうなんじゃないかと~。ああ人生ってそういう面があるよね、よくそれを切り取って表現したもんだ、わかるなあ。そう感じる人と感じない人がいると思う。傷だらけになりながらの自分探しを、暖かい目で描こうとしてる。そんないくつもの人生や傷を、そのまま、それでいいんだ、それでよかったんだよ、と頭にポンする感じの作品のように、わたしには思えたので、満足。